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チバニアン

 投稿者:コマツ  投稿日:2017年11月14日(火)13時52分21秒
  前田さん、市原市民、そして我々千葉県人、さらにニッポン、万歳。

http://komatsu0513.heteml.jp/

 
 

チバニアン

 投稿者:久保田  投稿日:2017年11月13日(月)16時49分37秒
  勝ちましたね。今日のヤフーニュースに出てました。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6260995
市原市も観光客対応にフーフーいう時代が来るかも。
地層と国分寺跡が目玉になりますか。
市原市の国分寺跡説明に「全国国分寺跡」のPRも大きく付け加えてもらわなきゃ。
 

チバ二アン勝つ

 投稿者:前田  投稿日:2017年11月13日(月)16時01分57秒
  チバ二アン、ゴールデンスパイクに内定。
イタリアに勝ちました。
 

前田さん

 投稿者:東京支部長  投稿日:2017年11月13日(月)15時09分42秒
  ネットの情報では、そろそろ決まりそうですね。  

竹ノ内街道を行く

 投稿者:東京支部長  投稿日:2017年11月 8日(水)21時45分41秒
  羨ましいですね。11キロも、標高200mを越える峠越えもしたのですね。景色は何処を見ても、歴史に彩られ、正に近畿です。読んでいて、今まで訪ねた処と、関連を調べ、整理したくなりました。服装が真冬で、まとめに、お疲れ様でした。  

竹ノ内街道

 投稿者:コマツ  投稿日:2017年10月24日(火)20時05分2秒
  私も一気に読みました。最後の赤のれんが楽しそう。このページにたどり着くのは、
初めての人には難しい。下記に最短のアドレスを紹介しておきます。

http://inoues.net/club10/201901takenouchi_kaido.html

http://komatsu0513.heteml.jp/

 

竹ノ内街道をゆく

 投稿者:久保田  投稿日:2017年10月23日(月)13時12分28秒
  筑前さん、読み終わりました。楽しそうな様子が伝わります。
近畿は行くところがたくさんあっていいですね。
223回もアップされてますがまだ見てません。

「棄亡」という言葉がもしかしたらあるのかな?と思い調べ
ましたがやはり無かったですね。
こんな文字を作るのは単純悪意丸見えです。

選挙が終わって、また安倍晋三の顔を見なきゃならないのかと思うと
「あ~ぁ」です。
 

長いことすみません。

 投稿者:筑前  投稿日:2017年10月21日(土)16時58分47秒
  やっと今年の1月29日の、第222回例会「竹之内街道をゆく」をUPしました。長雨の中、ゆっくり見て下さい。さぁ、223回に掛からなくては。

http://inoues.net/

 

民主党

 投稿者:コマツ  投稿日:2017年10月18日(水)16時59分54秒
  昨日、期日前投票を済ませた。比例の投票で発見した。立憲民主党と自由民主党があるんだ。
どちらも民主が付いている。少なくとも選挙のために主義も理念も捨てるチョロネズミより
ずっとましですね。枝野さんは格好いいです。

都民ファーストはわかりやすい悪役がいたから雪崩が起きたのに、それに気付かず棄望した
チョロネズミは格好悪いなあ。日本の選挙民は愚民ではありません。馬鹿にするなですよね。

http://komatsu0513.heteml.jp/

 

そのとおりです

 投稿者:前田  投稿日:2017年10月18日(水)16時28分45秒
  筑前さん

第一弾、第二弾ともそのとおりです。ただ今のぼくは立憲民主党に投票します。
 

第一条

 投稿者:コマツ  投稿日:2017年10月18日(水)15時48分45秒
  筑前さん、いいね。第2条は「広く会議を興し、万機公論に決すべし。」


http://komatsu0513.heteml.jp/

 

拡散しましょうーっ。

 投稿者:筑前  投稿日:2017年10月17日(火)18時33分0秒
編集済
  第二弾!  

拡散しましょうーっ。

 投稿者:筑前  投稿日:2017年10月17日(火)18時32分30秒
  第一弾!  

前田さん

 投稿者:東京支部長  投稿日:2017年10月13日(金)22時20分12秒
  良かったですね!PETで、クリアすれば、安心です。11月の手術の成功を、お祈りします。  

お見舞い

 投稿者:コマツ  投稿日:2017年10月13日(金)16時57分38秒
  前田さん

転移が無かったこと、まずは良かったですね。11月下旬の手術、無事に成功するよう
お祈りします。私も大腸癌を切った時のことを思い出して、前田さんの今の気持ちが
良くわかります。私は無宗教なのですが、手術の前にはなぜか「神様」「カミサマ」と
心の中でつぶやいていました。人一倍臆病なのがその時わかりました。なぜかそうする
と落ち着くのです。不思議ですね。

http://komatsu0513.heteml.jp/

 

ご心配かけました

 投稿者:前田  投稿日:2017年10月13日(金)14時37分37秒
  コマツさん、東京支部長さん
ご心配かけましたが、昨日「PET-CT」検査の結果、転移は全くないことがわかりました。
ただ、腎臓の4mmのガンは体内に置いておくのは嫌なので、11月下旬に手術で撤去してもらいます。
 

東京支部長さん

 投稿者:前田  投稿日:2017年10月 9日(月)16時13分35秒
  お見舞いありがとうごさいます。
今はがん対策が進んでいます。10月2日に君津中央病院で「PET-CT」という検査を受けました。F-18という放射線を体内に入れてCTで映像を取ると、がん細胞だけ光るそうです。結果は12日にわかります。
体力・気力になんら変化はありませんのでご安心ください。観光ガイドが忙しく頑張っています。
 

前田さん

 投稿者:東京支部長  投稿日:2017年10月 9日(月)13時59分21秒
  お見舞い申し上げます。私は、何の知識もありませんが、コマツさんの言われる、「ご自分の最も納得される方法での、養生」を、お祈りします。是非、都合の付く折、集まりたいですね。  

国分様

 投稿者:コマツ  投稿日:2017年10月 6日(金)17時15分5秒
  国分様、ようこそいらっしゃいました。薩摩の国分氏のご子孫らしいとのこと、大歓迎です。
薩摩には留守氏、執印氏、国分氏など古い家系が残っていますね。国分氏というのは国分寺が
おかれた土地を、苗字にした豪族と思われ、日本各地に見られます。有名なところでは、仙台
の国分町という地名になった国分氏があります。もとは、下総国(千葉県)の国分寺に勢力を
張った豪族でしたが、いつの頃からか陸奥に移り、伊達家に仕えたと言います。

よろしかったら全国の国府・国分寺を巡った私のページをご覧ください。下記のサイトです。

http://komatsu0513.heteml.jp/





http://komatsu0513.heteml.jp/

 

自分の苗字から

 投稿者:國分  投稿日:2017年10月 6日(金)09時31分15秒
  はじめまして
いきなり失礼いたします

私 北海道に住んでおります、國分(こくぶ)と申します 「こくぶん」ではありません
主人の父の、自分語りのなかでどうしてもわからないことがあって調べてみてほしいというので
いろいろ探しているうちにこちらにたどり着きました

主人の父は鹿児島県出身で
父の父・・・主人の祖父に当たる方は仙台出身の女性と結婚し満州に移住、混乱の中祖父は満州で若くして亡くなり引き上げ船で祖母と父は日本に戻ったのですが、祖母とは別れ父だけが鹿児島に戻り、父の祖母(主人のひいおばあちゃん)に育てられたのだそうです

祖母は 父の話によれば名実ともに「おひいさま」で、島津氏に仕えた家臣(島津家ゆかりの執印氏につながる国分氏)の娘、
その家臣は当時ご典医のようなお仕事をされていたのだそうですが、家系の中でそのような話はなくおそらく体調管理あるいは御祈祷などする知識を持っておられていたのかもしれません

父は その「姫さま」であるおばあさまにたいそう可愛がられて育ったのだそうですが、
亡くなった父の父は傍系(あるいは庶子)で在り、武家のならいの色濃く残る本家の中で父はとても肩身の狭い思いをされていたのだそうで
中学以降(祖母の死後)家を飛び出し実母のもとへ行き その後本家とは全くつながりはなくなったそうです
その後実母は再婚し北海道に移住し 今に至ります
実母は再婚した方の苗字を名乗りましたが 父は國分のままを通し
なので 私どもは私ども國分家家族以外に國分の名の血縁を知りません

当時父が住んでいたのは知覧で 何故知覧に住むことになっていたのかも知らないけれど本籍はそちらに在りました(今は現住所にしたそうです)
10数年前に本籍をうつす際に知覧を訪れた時にはもうそこに血縁はおらず 今本家がどうなったのかも知らないそうです また 父も当時そうとうにつらい思いをしたことから本家とつながりや連絡をしようとも全く思わないらしく この話はしたがりません


ですが、父の疑問というのは、自分の家紋 のことで 全く記憶にもなく分からないのだそうです
それも知りたくて知覧に行ったのだそうですがわからずじまい、ただ祖母の話や当時の父の生活ぶりの話から 本当に先祖が島津ゆかりの「国分氏」であったのだとしたら、川内市に行けば何かわかるかもと思ったそうですがそこまで訪ねることができなかったらしく・・・
のちのち調べてみたら「沢潟」の家紋であるらしいことが分りましたが、どんな形の沢潟だったのかまではわかりませんでした

本当なのかどうかは 父の話以外にはなにもないので どうかとは思いますが
いつか 機会があれば 國分の苗字を持つ息子たちと一緒に ルーツかもしれない川内・薩摩国府をたずねてみたいものです できれば家紋も知ることができれば・・・・と思っています

國分の名から 薩摩国府にたどり着き こちらの記事を興味深く読ませていただきました
感謝です

おじゃまいたしました
 

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