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ナァフ○マ

 投稿者:逆狭 麻子  投稿日:2004年11月30日(火)19時55分11秒
返信・引用
  。すまりあ ナァフソマ

。いさ下 ルーメ 方のるあ味興 


。すましり譲お
 


93

 投稿者:田中麻子  投稿日:2004年11月25日(木)18時06分52秒
返信・引用
  マソ○ァナに興味ある方、メール下さい。
いいこと教えます。
 
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鶏の番をきつねにさせる

 投稿者:akyoon  投稿日:2004年11月24日(水)22時53分58秒
返信・引用
  前記のクスリについてですが、まあ、安全神話ってのはどこでもあるのもので、それが安全だと思えばそうだろうし、信じる信じないの論理と言うのでしょうね。
でも、ちょっとおかしいなあと思う人は、おかしいんでしょうね、きっと。
僕なんかもそのおかしなひとの一人のようで、どうしても、こういう重箱の角を叩くのが好きなのですね。

だいたい安全なクスリの見張り番なんて必要あるの?って言う人にはこういう情報は無用です。
クスリは安全で身体を良くするもので病気を治し人体に欠かせないものですからねえ〜〜

だけどこの安全なクスリをわざわざ監視するってのはどういうこと?
それもにわとりの監視をきつねがするってのは?
きつねってのは、にわとりが嫌いなのにねえ〜〜〜   
http://npojip.org/dokuho/teigen.html

http://npojip.org/dokuho/teigen.html

 
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薬の副作用?

 投稿者:akyoon  投稿日:2004年11月24日(水)22時41分15秒
返信・引用
  本当に副作用なのかどうか?
わかりゃしないって!  別に批判、いや、非難しているわけじゃないんですが。

でも、ほんとに考えてみると。  どうも、主作用に対しての言葉があるかの様に感じるんですね。 主があるから副があるって・・・こと。
でも、その主がほんとに主であり得るのかどうか?
こんな事考えたことある人

少ないんじゃないかな?

たいていの人は
はじめから教え込まれているその「教え」によって
ただ   なんとなく   うのみにして   信じている   薬の常識ってやつね。

それによると  
 
薬には主作用がある・・・・・これって病気を治す働きの成分があるからだ。
薬には副作用がある・・・・・・・どうしてもこれって付いてくる宿命的性質の成分が含まれているからだ。だから副作用は欲しい物を買うと、イヤでも付いてくる付録みたいなもんだ。  お気に入りのあめ玉なめるには、当然この苦いあめ玉もなめなきゃならんぞ!!

って、ちょっと表現があまいなあ。

ま、どうしても主作用がある薬にはどうしても副作用があるってのは常識の常識。
いまさら、薬に副作用があるなんて?  などと、ぶりっこよろしくすり寄ってきても、オイラしらないっと。

でも  よく考えてみる人   は 主作用と副作用の関係があいまいだと言うことに気が付くだろうね。  主と副ってのが  いつでも交代しちゃうってことが。
 
(この書き方、誰かさんの書き方をまねたわけじゃないんだが・・・・でも、どうだか?)
http://www.hcn.zaq.ne.jp/caarc303/page013.html

http://www.hcn.zaq.ne.jp/caarc303/page011.html

 
お得なプロバイダーとくとくBB

ブラックジャックによろしく

 投稿者:akyoon  投稿日:2004年11月23日(火)10時13分48秒
返信・引用
  この漫画、僕もよく読みました。
まるで魔法の様な手術でどんどん何秒を直して行く。
読んでいて心地よいですね。
しかし、あれも漫画の空想の世界ですね。
まだ人類が手術を賞賛しているうちはまだまだ定休?医学でしょう。
まあ、事故とか骨折などの外傷に適応されるかもしれませんが、内臓関係で手術を進める医学というのは・・・
あまり書くと営業妨害なので。

ところでブラックジャックのモデルとなっているとか噂されている人ですが、
この人でさえ、手術をすればするほど怖くなって行くというではないですか。

そう、知れば知るほど手術という 魔法の幻想  に気が付くのでしょうね。

しかし、いっぱんたいしゅう という群像は もうこれ宗教信者さんと同じですね。
これ以外の教えは無い  という堅い観念が植え付けられているから。
そういう人は、まずは現場の方からの 吐露された話などを 覗いてみたら?

でも・・・・
僕も 立派?な宗教信者でしたから、 堅く信じた 教え からなかなか抜けられないんですね。  
というよりも、こんな所も来ないし、そんな情報も見ないし、近寄るチャンスもほとんど無いんですね。  (チャンスは自分で設定しているという話もあるが)

http://www.webvision.jp/special/specialist/20041119/index.html

http://www.webvision.jp/special/specialist/20041119/index.html

 

全部あります

 投稿者:suda  投稿日:2004年11月23日(火)00時56分24秒
返信・引用
  Win用、Mac用、全て揃っております。格安にて、お譲りします。

あらゆる洋楽CDを取りそろえております。一枚¥350円で、5枚〜。

お気軽にメールください。
 

ナァフ○マ

 投稿者:逆狭 麻子  投稿日:2004年11月22日(月)10時34分1秒
返信・引用
  。すまりあ ナァフソマ

。いさ下 ルーメ 方のるあ味興 


。すましり譲お
 
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ふ〜〜、ようやく

 投稿者:akyoon  投稿日:2004年11月10日(水)22時42分9秒
返信・引用
  ここが変だよ!床ずれの常識

2.消毒とガーゼの常識非常識. 消毒薬は「毒薬」.

http://www.geocities.jp/pressure_ulcer/sub502.htm

と紹介されていますが、岡田茂吉研究の本命は、やはり医学の非常識だろう。
医学の非常識のひとつとして、「消毒薬がいかに猛毒であり、その浄化作用は厳しい結果を招く云々・・」の論文があるが、岡田論文の取捨選択の「どうしても捨てがたい論」がここに証明されつつあります。
 

http://www.geocities.jp/pressure_ulcer/sub502.htm

 
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チャネリング情報についてのご注意

 投稿者:akyoon  投稿日:2004年11月 8日(月)23時03分21秒
返信・引用
  このhpで表紙の下の方にリンクを貼ってある精神世界とか宇宙情報(チャネリング情報)とかについて。
ここでもう一度強調しておきます。さらにこのHPの内容でもそうですが、
b>取捨選択が必要、それも自己責任で!!
 

地震や台風の災害はどうして起こる?

 投稿者:akyoon  投稿日:2004年11月 2日(火)09時47分8秒
返信・引用
  これも起こった事象に対してのひとつの意味づけになるかも知れませんが。
岡田茂吉の浄化論(自然災害と病気や事故、精神的苦難など)を読まれた方はそれなりに納得されているかも知れませんが、「この世界で曇りの無い人など一人も居ない」とあります。つまり「この世にでて過ちを犯さない人間など一人も居ない」ということでもあり、逆に「この世で過ちをおかしたくない人は生まれてこない」のが真実かも知れません。
いや、むしろ「この世で過ちを犯すために生まれてきた」のが真相だとしたら、どうなるでしょう。
 つまりすごろくゲームで一回サイコロを振れば皆が一様に「上がり」となってしまうとしたら、このゲームをやりたい人がいるでしょうか。ゲームの間にいろんな喜怒哀楽を楽しみ、自ら創ったこのゲームのすばらしさと共に一緒にゲームする人たちとの絡み合いも楽しみなのです。ひとりでサイコロ振っていてもいくら複雑なゲームにしてもおもしろくもなく、感情もわいてこないでしょう。
 負けて相手を憎んだり今度は勝って嬉しがったり、そんな複雑なゲームを複数という人間各々に分霊して、お互いがまったく他人だと思いこみながら、必死になって行って来たこの壮大な人生ゲームもそろそろ壮大な地球規模の「上がり」に達しようとしているのでしょうか。
 その前にちょっと今までのゲームの間にできた滓なども整理してきれいさっぱり次世代の地球規模の新世界を創り上げようという人類の集団意識が働いているようです。
もちろん、表面意識である我々一個人の頭ではそれを意識できる人は極まれでしょうから、相変わらず目の前の現象に目を向き、驚いたりあわてたりしているわけですが。(この私めも残念ながら・・・)

新潟の集中豪雨、そしてこの中越の大地震の被災においても悲劇が目の前に繰り返され、まったく自然の無慈悲な残忍さばかりが強調されがちですが、その陰において必ずや陽の場面も展開されているはずです。それはひとりひとりが違った場面で違う立場で味わう感情だと思いますので、派手な報道には載らないかも知れませんが、喜びの面も起こっているはずだと思います。

で、また前置きがながくなりました。次のサイトも参考になるかもしれません。(・・って、オマエ自身だろう!って?)
ーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーーーーーー
今年は特に猛暑、台風、地震と天変地異が重なっていますが、
これも全くの偶然では無く、私たちの住む
太陽系・銀河系の変化と大きく関係し、
また個人的な意識の変容にも影響を与えています。
その土地に住む人々の深い意識が開き、
解放に至るまでの様々な障壁を乗り越えるだけの
準備が出来た時に、地震や台風などに直面するのです。
これは病気にも言えることで、病気を契機に
自分の生き方を切り替える為の心と体の準備が
整った時、それまでに体内に溜まった不要物を
病気として体外に放出するのです。
ですからそういった意味での
乗り越えられない障害は無いのです。

この先、益々大規模の変化が訪れるでしょう。
その為の具体的な対策準備は勿論必要なのですが、
巻き起こる様々な出来事を意識レベルでどう捉え、
その先にどこに向かうのか?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
http://www.midori-matuo.net/message0410.html

http://www.midori-matuo.net/message0410.htmlhttp://

 

逝く人へ それを送る人へ2

 投稿者:akyoon  投稿日:2004年11月 2日(火)09時27分25秒
返信・引用
  (前文訂正)力換えポイント→切り替えポイント

下書き無しの、いきなり書き込みですので誤字、おかしな文章はいつものどおり。まあ書き殴りの日誌というか、覚え書きみたいなものです。

参考としての文をご紹介しておきます
ーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーーーーーー
生命(いのち)は永遠であり、死んでもその人がいなくなってしまうわけではありません。基本的にはなにが起ころうと大きな問題は無いのですが、いくつか出来るなら避けたい状況というものがあるというのも事実なのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以上の詳しい内容は下記へ
http://www2.wbs.ne.jp/~foryou/soul/soul155.html

http://www2.wbs.ne.jp/~foryou/soul/soul155.html

 
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逝く人へ それを送る人へ

 投稿者:akyoon  投稿日:2004年11月 2日(火)09時22分25秒
返信・引用
  人は本当は死ねない
なのにこの世界の現実感として死を見てしまう。
これは神(偉大なる意志と言ってもよいかも)が自分を知る(体験することで再確認するようなものか?)という壮大なドラマを創出するために創ったこの我々の存在する宇宙にすべてを忘れて人間として生まれてきているという。
だからその体験すべてが現実の様に錯覚(自らそう設定して来た)するのですが、本当は死などと言うものは無く、それは形態を変えた生の力換えポイントでしかないのです。
しかし身体に古来から染みこんでいるような知識と思いこみによって、どうしても我々は人の死を悲しみます。(それで良いのでしょうが・・・・そのわき上がる感情が体験のひとつでもあり、失うという感覚が深い愛を確認できたりするから)
 でも今まではそうであったのがこの新世紀に入ってそろそろ地球上のワンステップアップの段階を(人類の深層意識で)迎える準備が出来たということのようです。
 そのため今いろんな方面でその情報が出されています。どれが真実というよりも、人は自分の信じたことが真実になる」という創造主のミニチュア版の様な存在ですから、真実とは「どの選択が自分にとって好ましいか」が真実となる不思議な世界のようです。
それも数が多いほど、その影響力が大きくなるようで、それと地球自身の意識の上昇とマッチすることが、これから起こる事象に遭遇して自分自身の選択の決定を行って行くことのようです。
 もちろん、意識の強制などは今までもこれからもずっと無いわけで、自分がどの思考を選ぶかどうかの自由選択になるようです。
この考え方も自由選択のひとつですから、今までの様に「神がその人の行いに対してすべてを審判している」という考えを選ぶなら、そのような現実が起きてくるというのがミニ創造主たる各人間様のようです。
 
あくまで起こる事象に強制的なものはいっさい無く、不自由だと思うなら不自由な現実が現れるし、それが「大自由」とでも言うのでしょうが。

岡田茂吉(あえて敬称を付けない)が「大調和」という論文を書いていますが、同じように自由も不自由も自分が認めて創り上げている(もしくはそれを承知してその世界に生まれる)のだから、それこそ大自由といえるのかも知れません。

なんだか、地震の災害からいろんな事を考えさせられますが、これも今の段階での私の自由な発言でして、今後変わる自由ももちろん捨ててはいません。


で、表題の件は前書きが長くなったので次回に
 

なぜ病気や災難に遭うの?

 投稿者:akyoon  投稿日:2004年11月 1日(月)18時08分58秒
返信・引用
  こういう考え方もひとつの選択なのかも。

ーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーーーーーー
http://www.geocities.jp/thekuu/troubule.htm
なぜ病気や事故に遭うの?


 あなたは日々生活する中で、様々なトラブルに遭遇します。その中でも病気やけがは大きなトラブルといえるでしょう。では、どうしてあなたが自分の思い通りに、自らが望んで創り出しているこの現実の中で、到底自分で望んだとは思えない病気やけがや様々なトラブルにあなたは不意に襲われるのでしょう。

この幻想世界は、全てが二極に分かれ、その二極がバランスを保つことで成り立っています。光があれば影があり、陽があれば陰があり、プラスがあればマイナスがあり、ポジティブがあればネガティブが存在します。

ポジティブだけを自分のものにすることはできません。より大きなポジティブを求めると、より大きなネガティブも創造することになります。そして、その二つは時間が存在するこの幻想世界において、ほとんどの場合時間的なズレを伴って現れます。

ポジティブな出来事に浸りきって、その陰に存在するネガティブを忘れていると、予期せぬ時にそれと出くわしてしまうことがあるのです。特にポジティブだけを追い求めるがゆえに、ネガティブを否定すると、そのネガティブはより大きなものに成長して、いずれあなたに降りかかります。

あなたがおいしい物を食べた時、あなたはそれに見合うだけの出費を強いられます。また、あなたが新しい大きな家を手に入れるためには、もっと高額な代償を支払わなければなりません。そしてその念願の家を持ったとしても、今度はその家を維持するための様々な問題も一緒に抱え込むことになるのです。

しかし、あなたがポジティブだけを追求し、(以下は本文に)

http://www.geocities.jp/thekuu/troubule.htm

 

自然のなりわい

 投稿者:akyoon  投稿日:2004年10月31日(日)14時01分23秒
返信・引用
  自然に起こるのは自然の原因があるということですね。
それでいいのではないでしょうか?
 それに人間の罪や汚れを無理矢理くっつけることもないでしょう。
地球にはそれなりに維持して行く営みがあるというのが自然です。
そこに各個人が選択して生まれてきていると考えることで十分でしょう。
 そこには神の審判とか裁きなどと言う「恐怖感」を植え付けたのが相当過去からの宗教です。
 
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地震の原因

 投稿者:きゃく  投稿日:2004年10月31日(日)07時36分15秒
返信・引用
  浄化だとは思うが、それなら何故、新潟に穢れが溜まってたのかということ。
何が穢れで、どのくらい穢れてたのか。ということ。
穢れの全く無いことは無いだろけど、地震が起きるほどの穢れって。
震災に遭うのが自分の選択した運命というのは、
穢れの浄化に遭う(地震にあう)ことを自分が許可したことであって、
地震が起きることとは別の因果で。
 

良寛さんの地震見舞いから

 投稿者:akyoon  投稿日:2004年10月30日(土)20時21分6秒
返信・引用
  を紹介したのですが、これを貰った人は相当出来てないと反感を買うだろうと書いてしまいましたが、もちろん大愚と称する良寛さんは相手を知っての手紙だったと思います。
 災害に遭うときは遭えば良い というのは、運命論として見ているのかと思います。
この運命ですが、神が決めた運命だと思うと、これは他からの強制みたいになりおもしろくもありません。また、神が何か自分の行いに審判を加えて罰するという意味も含まれるかも知れません。
私は岡田茂吉の運命、宿命論は番組のひとつであり、それもまだ昼の世界に入ってない黎明の時代の教えであったと思っています。
 神の命によりというと神と私はまったく別々の存在として見られます。しかし本質は誰でも神であるのですから、神に見えないように仮装して出てくる出演番組みたいなもので、神でないと自分自身を思いこませてこの世で演技しているだけのことで、神とは自分の根本の存在であって他者でもなく、命令を受ける者でも無いというのが人間の真実だと言えそうです。

それなら運命に任せる(災害に遭う時は遭うが良い)のは、既に本質の神に近い自分自身が設定していたものであって、表面上の自分はそれをいっさい忘れているだけのことです。
 そして「死ぬる時には死ぬが良い」という意味もその運命に逆らうから人は驚き悲しみ怖がるのであるというようなことかと思います。
 もっとも、この本質が分かっていたらもうこの世の喜怒哀楽もほとんど刺激がないのでおもしろくも何ともなくなるのでしょうが。l
 だから人は悲しむときはうんと悲しみ、喜ぶときはうんと喜べということかも知れません。免疫力の計測で喜ぶときに針が上がったとともに、人が落ち込んだときそれを十分味わうと、もっと免疫力の計測の針が上がったという話を聞いて、
なるほど、人はこの世で喜びもそうだが、悲しみも落ち込み状態も十分味わいつくすという舞台を自分達で創って、そこで度壺にはまったように一種の「ふり」をしているのだな・・

という思考もひとつの考え方です。
 自分たちというのは神々であり、神々とは元をたどれば創造主と言われる神になるのでしょうが。
状態だけを見ていると悲惨さだけが強調されて見えますが、自分から極力もっと高見にいる存在として認識できてくれば、悲惨なことは本来この世界にはないんだと思うことができるのではないか・・・・・私は今そちらの道の方へ選択しようとしています。

浄化という言葉も 曇りが解消される という事も真実でしょうが、
 何かを自分が体験したい、そこから自分のすばらしい所を再認識したい、という事に意味づけるともっともっと軽い気持ちになれそうです。
 悪だから浄化するという意味を超えて、 そうなると審判とか裁きとか言う言葉も効力を失うのではないかと・・・・・

良寛さんはそこんとこをよく分かっている人にあの見舞いを書いたのではないかと思うのです。 災難も死も本質的に悪いものでも何でもないんだ。

まあそこまで心も体も受け止めれば、車中泊も心臓バクバクも無いんだろうけどね。そこは口先男だから・・・・
 

いっさいは浄化作用なり

 投稿者:akyoon  投稿日:2004年10月30日(土)19時49分6秒
返信・引用
  と言ったのは明主様(岡田茂吉)ですね。
私も元信者ですから教えられています。
 つまり浄化とは悪化作用ではない。病気も浄化ですから悪化作用ではない。
という事なのですが、見た目はどうみても悪化作用に見えますね。極限は死亡ですから、こういう状態になると、果たして悪化作用ではないと言えるかどうかと疑問を持たれるのでしょう。(私などは)
しかし、もっと奥の方から見るとここのHPの下の精神世界リンクなどを覗いたりすると、その思考はまだ低い番組として見ているのかも知れません。
 人の本体は肉体ではなく、この世界では有限を体験して、そこから感じる喜怒哀楽の感情を味わいながら本体の神の存在に近づいてゆく(というか帰って行く)のかも知れません。
 本来人に罪や穢れなどはなく、この世界に本来あるはずもない時間と空間を生み出して、仮想体験を実在の世界の様にうまく仕組んで出てきた神々(私もあなたも)がそこで遊ぶかのごとく、創造を楽しむ。
 楽しむというととても理解不能の様ですが。それがすべて理解されたら覚醒者としてこの地球上の体験もつまらなくなるのでしょうが。
ともかく、事故に遭おうが災害に遭おうが病気になろうが、それは他者(もちろん神も)から強制されて逢うというのものではなく、自己の本質適存在である魂から見れば自己選択しているということです。
だから見方によっては曇りのある所に浄化があるともみれるし、もっと根本から見るとそれは自己の本質を実感するための舞台装置として材料として、自分自身がすでに設定した場面でもあるということになります。
 ちょっとなんだか分からない様なことを書いていますが、表紙の下の方のリンクをじっくり呼んで味わってください。
 悲惨な状況の裏には本当はすばらしいものが含まれていて、そこには天罰とかいうようなものはいっさい含まれていないということを知ればよいようです。
 起こる事象にいろいろな解釈を施すのは人間です。意味づけも千差万別です。
しかし、この災害の中において一人ひとりが体験して味わう感情やその行いなどは、すべて自分にとって無駄になっていないし、本質は決して悲しむべき事ではないということを確信しています。
 それが何があっても大丈夫という言葉だと思いますし、ありがとうございます もそれを受けている言葉だと思います。
 後はこの体験を通して自分が何を考え何をしたいというかを自分なりの自由に選択することだけが真実なのではないかと思うのですが。

それにしても、頭で考えていることと身体の反応は違うようで、揺れる度に心臓はぱくぱくと反応するのですから、この身体だってやはり生き延びたいといつも思っているようで、愛おしく長持ちさせるようにがんばって車中泊をしました。
そんな事は生き延びたから言えることとして。

 あらためて、被災死亡者、家屋の損壊した方々のお見舞い申し上げます。
昨日は人の身、明日は我が身と言うように、どれも人ごとではなく、一見悪い状況を受ける役目をしてくれた方達なのです。
あのイエスが一番感謝したのはユダだと聞いたとき、悪役を引き受ける勇気と同様に被災の役を受ける勇気に感謝するばかりです。
 
お得なプロバイダーとくとくBB

地震の原因

 投稿者:きゃく  投稿日:2004年10月29日(金)20時36分34秒
返信・引用
  新潟の震災は、地質学的にみるとそれなりの原因はあるだろけど、
宗教的にみると、どうなるんだろ。
明主様は、火災の原因を、「宗教的に論じることもあながち無駄ではあるまい」
といって、火災の原因を物質の穢れとしてたと思う。
ということは、地震による被災も浄化ということになるのだろうか。
また最後の審判とかで、
「今後、人間の眼でみて非合理といえるあらゆることも浄化とみて、腹の帯しめろ」
とかいうものがあったと思われる。
浄化であるならば、なぜ新潟に穢れが溜まってたのだろうか。
 
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良寛さんの地震見舞い

 投稿者:あきょ〜〜〜ん  投稿日:2004年10月26日(火)10時40分35秒
返信・引用
  これをいきなり貰った人は相当できていないと、癇癪をおこすのではと思われる内容です。

人の不幸や災難を「それはありがたい浄化作用だよ」と言うようなものです。
知っては居てもそれを当事者が言われると本当に頭にくるものでしょう。あたらずさわらずの慰めの言葉の方がどれだけ喜ばれることか。
 馬鹿のひとつ覚えではないですが、病気、事故、災難、すべて浄化作用、良いことなんだよ    などと一般人に通じるはずもなく、岡田茂吉信者さん達は人が良いのかもしれませんが、もろにそれを言い始めるものだから、だいたい嫌われるのがおちで、それを言う時期というのがあるようです。
 浄化が終わり、上昇機運が見えたときに言うのがよろしいようで・・・
わたしんちだって、数年の浄化で苦しんで居るときに言われると、「本当の事を言った」人に悪意もちかねないところでした。人はやはり、苦しいとき、悲しいとき、落ち込んだときは 慰めてもらったり元気づけしてもらったりした方が良いようです。
馬鹿のひとつ覚えの様に「それは浄化ですよ、喜ぶものなんですよ」などと言っていると、とんでもないヒトデナシに思われるだけで、人情の無い愚か者と見られるだけでしょう。
(私はそんなことを平気でやってきたのが恥ずかしい)

しかし良寛さんはさすが、大愚 と称するだけあります。 それをやっちゃったんですから。

ーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーーーーーー
文政11年(1828)12月18日「三条大地震」
M=6.9 三条・見附・今町・与板などで被害・死者1400、家屋倒壊9800、焼失1200。71歳だった良寛は、「災難に逢ふ時節には災難に逢ふがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候」と見舞いの手紙で述べている。
 
お得なプロバイダーとくとくBB

国の心と形を整える調整作用

 投稿者:あきょ〜〜〜ん  投稿日:2004年10月26日(火)10時28分30秒
返信・引用
  今回の地震は予知されていた?
http://kotonoha.main.jp/2004/10/24niigata-earthquake-kobe.html
より
阪神大地震とつながっていた中越地震。
日本国は巨大な竜の形をとっているという話はオカルト論者の中では有名な話です。
この淡路阪神から越後信濃川沿いをつなぐエネルギー層(蓄積されるという意味で)が動いて国の全体としての背骨を矯正するのだろうか。

山古志村は大被害を受けて本当にお気の毒ながら、早い復興を願うのみです。
この村だけに古志の名が残っているが付近一帯は皆古志郡だったので、これは古志(高志)の国の浄化といえそうです。
古志は古志龍がちゃんと居るようで、長岡では蓬平に高龍神社(白竜)があり、高龍は小千谷の竜光という地域(震源に近い)と繋がっているような気もします。
一説によると小千谷のこうりどんの池が長岡の高竜さんの本家だと言われます。山古志はちょうど高龍神社の裏(隣)になり、小千谷の龍光の隣でもあります。
どうやら、古志地方の龍が動き始めたようで、一連のエネルギー調整による現象かもしれません。
おそらくこれがドミノ現象的に徐々に全国的な浄化による立て替えた手直し現象が起こるのではないかと思いますが。破壊は悲惨ですがその裏側には必ず建設という明るい面が付随していることを信じています。山古志村の破壊現象はかならず復興を伴った建設現象を見せてくれるものと思っています。

それにしても今年の長岡の蔵王神社の屋根が半焼という事件を見て、これはきっと何かの始まりだろうかと思っていたのが、夏の集中豪雨の被害、この地震の前日は信濃川の大増水で警報が出たり、もちろん台風は全国的ですが、どうも浄化のエネルギーは地球の清浄化、正常化を意図しての調整時期に入ったようです。

岡田茂吉は地震も台風も自然の行う浄化作用なり  という論を書いていますが、まさに大浄化は一時的には悲惨さをみせたり苦しみ悲しみの渦に巻き込まれるというものですが、その裏には必ずもっとそれ以前よりも良い状態が待っているということを信じて生きて欲しいと思います。

人の死は魂の時点では必ず自分自身の承諾があるという話をこのHPの下の精神世界リンクのどこかに出ていたようですが、まさに自分自身の了解無しには人は死なないし、殺されることもない。
 人の死は決して他からの強制的なものではなく、絶対に自分自身の選択範囲内である。
という事を自分の真実として、死とは生への変化でしかないと気づくなら、今回の被災者の悲しみも少しは安らぐかもしれません。
 それを知っていても、感情というものがわいてきますから、素直に悲しんだり喜んだりするのも忘れないことでしょうが。
 人は浄化の真っ最中に直面したときはそれがなかなか理解できないのでしょうが。
 
そんな真実を越後の大愚良寛さんは知っていたようです。
 

以上は、新着順41番目から60番目までの記事です。 1  2  3  4  5  |  《前のページ |  次のページ》 
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