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およそ物事をなすに当っては、及ばぬ場合と、行り過ぎの場合とがある事はこれは当然であって、その場合は、及ばぬ場合はより前進せねばならぬし、行き過ぎの場合は改めねば成らぬ事となる。又、物質を造った場合、その目的通りに出来ればよいが出来ぬ場合は、その出来損じた物質は之を取り壊すなり取り片づけるなりせねばならぬ訳である。ここに体的問題の面倒さがあるのであって、霊的問題なれば簡単であるが、体的問題は甚だ複雑であって、体的建設の難しさがあるわけである。失敗は(悪)であり、成功は(善)であるが、前の失敗(悪)を本として次に成功(善)すればあながち前の失敗(悪)は失敗でなくなり、結果から言えば成功(善)であり、前の成功は(善)に馴れて次の失敗(悪)を生じた場合は、前の成功は(善)は反って結果から言えば失敗(悪)と言う事にもなるから、善、悪は一概に決定出来ぬ事となり、愈々問題が複雑となって行くわけであり、それ等の複雑な状態を経て、善、悪二元の積み重ねによって遂に最終目標たる、真、善、美の世界の顕現と言う事になるのであるから全く宇宙意思の働きたるや、人智を以てしては窺え知れぬものである。
ーーーーーーーーー以上引用貼り付け
どうでしょうか?
善と悪は決定的に決められないものであるというから、まったく是か非か決定は出来ないものであり、同じ様に考えると
現代医学の誤りも、決定的に悪とは言い切れないのしょうね。
薬と言う毒物を使って将来の浄化作用(病気)の原因を作り出す、言ってみれば造病医学なんだけど、人間にとって病気という体験がいかに素晴らしい効果を期待できるかどうかをつぶさに調査検討した結果、どうも病気は人の生き方や考え方まで変化させてくれる実に貴重な体験になる・・とか、 病気によって死に至る経過は本人だけでなく、周りの人も巻き込んで貴重な体験を生み出すものだ・・・等々
いろいろな副作用、いやこれこそ主作用というものかも知れません。
いろんな小説、テレビラジオのドラマにおいて、「病気」というテーマが入り込まなかったら、まるで味付けのない料理のようであり、気持ちの高揚感や感動もほとんど無くなるでしょう。
そう考えると誤った医学も実は重要な人生の味付けをしてくれていたという事になりそうです。これでは病をプレゼントしてくれる贈病医学と改名してもよいかなあ などと。
しかし、それもこれも20世紀までの役割でしょう。
21世紀からは人類の新世紀ですから、旧石器時代の医学はもう必要ないと分かる時です。
それと病気をわざわざ造って貰わなくても良い時期になったという事でしょう。
それほどもう病気の苦しみの体験は十分すぎるほどして来ましたから。
これからは苦しみに体験と相対する楽しみの体験を十分する時期なのです。
はじめから楽しみだけでは、その楽しみが分かりませんから。
旧石器時代から我々人類にたくさんの「苦しい」体験を与えてくれた医学さんに
あらためて感謝致します。
さようなら、さようなら、ご用収めが参りましたよ~~~ありがとう~~~ごさいました~~
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